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ごめんなさい、ドリコムから引っ越してから、いろいろと調整ができず、
記事のほとんどを非公開にしたまま放置しています。
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コメント欄をカスタマイズしてみました。
自作絵文字が使えるようにしました(変な絵文字ばっか)。

そして!
今さら気づいた大問題。
SeeSaaブログは、投稿者自身でコメントの編集や削除ができないんです。
これ、めっちゃ不便ですよ。
これをなんとかカスタマイズしたいのですが、今のところは不便なままです。
お手数ですが、編集したい方も削除したい方も私にご一報ください。
管理人である私がいったん削除して、
それから新たに投稿していただく形になります。
ほんと、ごめんなさい。

ついでに告知
ホームページ 裏庭の物置 も引っ越し後の調整をせず放置。
デザイン崩れやリンク切れがひどいです。
非常にお見苦しくて申し訳ないす絵文字汗絵文字汗絵文字汗

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2005年08月15日

敗戦記念日

敗戦記念日おめでとう!


昔々、終戦記念日に日比谷の野外音楽堂で開催されたコンサートで、頭脳警察はそう言って気炎をあげた。
「終戦じゃないだろ、敗戦だろ!」と。

私はトリのFlower Travellin' Band(フラワー・トラベリング・バンド)が目当てで、従姉妹のお姉さんに連れていってもらったのだが、他の出演者で覚えているのは頭脳警察だけ。
「敗戦記念」はそんなに印象に残ったのかな。
もう30年以上前のことだ。

そう、終戦じゃない、敗戦だよ。

負けてよかった。
日本は負けたから、アメリカよりか少しだけ頭がいい。
……とそう思ってきた。

だが、また世の中はきな臭い。


さて、本日の話は……といっても、たいした話があるわけじゃない。問題意識も低い。

メインディッシュは昔々の、母と家族の写真。


efamily-komaba001.jpg



写真の裏には、
「昭和19年(1944)、疎開の夏」とある。


四女(左から2番目)と末子(右端)が福島に疎開する朝の写真だという。


真ん中でセーラー服にモンペのようなズボンを着ている無愛想なやせっぽちが私の母。

「近所でも美人姉妹って評判だったのよ♪」と叔母たちは照れもせずに言う(笑)。
でも、母みたいな小顔のやせっぽちは、当時の流行ではない。
「君は――――個性的だね」とよく言われたそうだ。
個性的と言われるのが、「いちばんイヤだった」と母。
もっと子供のとき、ベティ・デイヴィスに似てると言われて、映画雑誌で写真を見たときはショックだったそうな。

いいじゃない、ベティ・デイヴィス。私なら言われたいな。浅田美代子に似てるなんて言われても、ちっとも嬉しくないのじゃ。(ないものねだり。美代子さんごめんなさい)

右奥にいるのが祖父。
後ろにある中将湯の看板、わかるかな。この当時、祖父は駒場で薬屋を営んでいた。
会ったことのない祖母は、これよりとうの昔に死んでいる。

母親がいないとね、子供の王国になっちゃうから、けっこう賑やからしいよ。
弟や妹の世話は細やかにゆきとどかないから、今になって、「かわそうなことしたなぁ」と思うことはあるそうだけど。

※末っ子は、戦後、日射病にかかり10代で死んでいる。その話はまた別の機会に。



短編『お姉ちゃんの髪留め』


その朝、長女が、疎開する妹の髪を梳いて、最後に髪留めで可愛らしくまとめた。
疎開先で少女は、どんなに周りの大人が髪をとかそうと言っても、がんとして触らせなかった。
しまいにはシラミが湧いたが、それでも髪留めを取らなかった。


(終わり)




うわっ、あたしってお話の才能nothing〜。叔母が明るく話すのを聞くとホロッとくるのに。
「お姉ちゃんがしてくれた髪留めをはずすのが、どうしてもいやだったのよね」と叔母は言う。
「なんて可愛くない子だと大人は思ったでしょうね。でもね、意地を張っているつもりなんて全然なかったのよ」
ただ、どうしても髪留めを取ることができなかったのだそうだ。

ちなみに「お姉ちゃん」は左端。


話はこの写真より前に遡るが――

近所に海軍士官学校に通う青年がいて、のちに人間魚雷となって戦死した。

九軍神、と呼ばれている。(注1)

制服姿がまぶしい美青年だったと母は言う。
ちょっとした思い出もある。

あの頃は夏になると、どこでもよく家の前に縁台を出して、夕涼みをした。近所の人もやってくる。子供たちは大人の話を聞くのが楽しくてたまらない。
くだんの美青年もたまにはやってきて縁台に座り、なんということもなしに夕涼みを楽しんでいく。
あるとき、近所の農大に、「肝試しに行こう」ということになった。
青年が言いだしたのか、子供たちが言いだしたのか。
母はこのとき小学4年生頃(記憶不正確)。憧れのお兄ちゃんと手をつないで、農大の敷地内を歩きながら、どきどきしていた。
「今時の小学4年生から比べたら、まるで子供だったけれど、あれはきっと恋してたのね」

それだけ?
たったそれだけ。なんてまあ他愛のない。

葬式には“海軍大臣”も訪れたという。

※海軍大臣というのは、母やおばたちの会話に出てくる呼び名で、正式な肩書きはわからない。


美青年て、どんなタイプだったのだろう?
「うーん、伊藤英明ではなくてね……」
なんでいきなり伊藤英明!?
「美青年っていっても、あんたの好きな ついーん としたのじゃなくて」
ついーんって、なに?
「どっちかというと妻夫木よ。少年倶楽部の表紙みたいなの」



憧れの妻夫木聡お兄ちゃんは遠い海で魚の餌となった。
九軍神の資料がある靖国の資料館に行ってみる?と誘っても、母はのらりくらりと「行かなーい」と答える。




******************


注1*


近所の妻夫木くんが九軍神だというのは母やおば、おじの記憶違いだと思う。
九軍神の経歴をネットで調べてみたが、全員地方出身者だった。
たぶん、妻夫木くんは真珠湾以降の人間魚雷のひとりだったのではないか。
いや、海軍士官学校に通っていたというのも違うかも。だってあれは江田島。
母やその兄弟に話を聞いたところ、近所に若い士官がいて、軍神のようなものに祀りあげられたことは間違いなさそうなのだが……。

ちょっと調べてみるかな。気分は探偵……。

駒場の妻夫木くんについて知っている方がいたら、是非御一報を。


……て、誰も読んどらんよ、こんなとこ。





↓ 蛇足があります……
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